CoffeeAndBooks's 読書日記

日々の読書を記録しています

つみびと

 何かで彼女は締め切りのある仕事はしない、と聞いた記憶があって、いかにも山田詠美だなと思っていた。そんな山田詠美氏の最新作は、意外性の塊。日経新聞夕刊の連載、それも取材に基づくネグレクト死が題材。

 これまで、エッセイを通じて愛情に満ちた家庭で育ってきたことが伝わってくる著者。いつ、何を読んでもpage turnerで期待を裏切られたことの一度もない作家だけど、この題材が本当に書けるのか、幻滅しないかな、と読むまで不安だった。もしかして、正しい生き方をしてきた大人としてネグレクトしてしまった若い母親を責める小説になってるんじゃないか、とも。

 期待は、良い意味で裏切られた。美しい文章はいつもと同じだけど、尊厳を踏みにじられながら生きている蓮音の姿に心が痛くなるような現実感があり、読んでいて胸が苦しくなる。まじめに正しく生きることは、ものすごいエネルギーが必要で、周りの環境が少しでも足を引っ張れば、心が折れて続かない。それなのに、本作の主人公母子は男からの暴力だったり(家庭の中でも外でも)、それ以上に扱われ方が味方しない。

 題材がネグレクト『死』である以上、救いのない物語。読んでいて苦しくて、いつものように徹夜で一気に読み進めることはできなかった。それでも読了できたのは、根底に愛情が感じられたからかもしれない。罪はもちろん罪だし、人の命を奪うことは事情がどうあれ許されないことだろう。それをわかっていても、どうにもならないことがある。不幸な人の気持ちなんてわかるの?という不安は完全に的外れで、その「どうにもならなさ」が書けるのは、悪いことをした人をとりあえず糾弾するタイプの「正しさ」を持ち合わせていない山田詠美だからこそ、という納得感を読後に得た。

 読んで面白いとか、感動して力が出るとか、そんなものではないけれど多くの人に薦めたい一冊。

つみびと (単行本)

つみびと (単行本)

 

 

工学部ヒラノ教授のラストメッセージ

 ヒラノ教授も最新刊では「終活大作戦」ということで、ヒラノ教授が東工大金融工学を研究する理財工学研究センターを最後の仕事として開設したのも20年前。

 

 本書は、ヒラノ教授(何のための仮名なのかわからないくらい『=著者』だけど)が、筑波大学でのブラック環境から、教授として東工大に迎え入れられ、研究者としての領分を広げ、理財工学研究センターを開設(のちにクローズされる)、という中でのあれこれを赤裸々に綴る。

 工学部の変わった研究者たちの生態については、私もよく理解しているけれど、今回面白かったのは経済学世界の裏側というか、近代経済とマルクス経済の関係。なぜ、資本主義の日本でマルクス経済学が幅を利かせているのか。そして、近代経済学近代経済学で国産とアメリカ産の派閥。あまり知らない世界だけに面白い。

 一方、一般教養の世界と専門研究の世界のデマケだったり、ヘッドカウントを巡る戦い・駆け引きだったり、というのも興味深い。この辺りは象牙の塔も一般企業の世界と通じるドロドロ具合。でも、教授や助教授は学問の世界で純粋培養されているせいか、年齢と経験のわりにナイーブにショックを受けたり悩んだりするので、こんなところで政治をするのは大変そうだ。

 

 金融バブルの裏側で金融工学を研究している研究者の世界がどんなだったか(東大の動向も少しだけ触れられている)、この世界に近いところで仕事をしている・していた人には興味深いだろうし、研究者を志す人にも興味深い一冊のはず。

 

工学部ヒラノ教授のラストメッセージ

工学部ヒラノ教授のラストメッセージ

 
工学部ヒラノ助教授の敗戦 日本のソフトウエアはなぜ敗れたのか

工学部ヒラノ助教授の敗戦 日本のソフトウエアはなぜ敗れたのか

 

 

女の不作法

 人気脚本家による、ちょっといけ好かない人物の評論集とでもいうのか、著者本人の失敗経験も含めて様々なケースが紹介される。読む前は、悪口が大量に展開されているエッセイなのかなと思っていたけれど、あまり感情的でない書き方なので悪口という感じはあまりしない。著者に共感するところもあれば、自分を省みて「こんな風に受け取られる行為は慎もう」と思うところもあり、なかなか面白い。

 そして、著者の視点が非常にバランスが良いことに感嘆する。さすが、老若男女に向けて発信する人は違うなと。自然・野生とアンチエイジングに関する考察はとても印象的だった。自然と野生は異なる、自然が良いといって無精な人は素敵じゃない。かといって、アンチエイジングに血眼な人も「痛い」と評される。その「痛い」という言葉に関するくだりが素晴らしいので、是非とも多くの方におすすめしたい。著者がどちらかというと、若作りをすれば「痛い」と評される側の世代だし、「自分は違う」という変な特権意識もないので、「痛い」という言葉の切なさを感じるのかなと思う。

 男性について論じる「男の不作法」も興味深い。

 

女の不作法 (幻冬舎新書)

女の不作法 (幻冬舎新書)

 
男の不作法 (幻冬舎新書)

男の不作法 (幻冬舎新書)

 

 

始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎

 漫画だと個別の場面での心情の動きをじっくりと考えられる利点があるものの、歴史の中のどの部分なのか、中国全土の中でどの辺りなのか、といった全体像が見えにくくなる。そして、史実を基礎にした創作だと、気になるのが、どこまで史実と一致するのか。

 そういったところを、いい感じで補完してくれるのが、この一冊。冒頭で年表や中国の全体地図を含め、なぜ始皇帝が中華統一(当時は中華ではなく中原と称されていたようだけど)できたのか、歴史的背景を解説してくれる。法家思想という言葉は歴史で習ったけれど、実はこれが後発の当時は新興国だった秦を中華統一が可能にした。しかも、本書によれば本来は数百年後に中原が統一されたはずだとされるところを、始皇帝が統一している。

 また、登場人物がどこまで史実なのか、についても、史記でどのように扱われているかを含めて知ることができる。女性になっているキャラクターが実際に女性かどうかは不明であるけれど。ただ、別の本(三国志の研究かなにか)でも戦場に戦士として参加していた女性自体はいたようだ、と読んだ記憶があるので、もしかすると一人二人は実際に女性かもしれない。このあたりは、だから何ということもないのだけど、ちょっと興味深い。

 なお、ネタバレはないので、キングダム完結前でも読みやすい(歴史なのでネタバレはいつでもしているのだけど)。

仕事に効く 教養としての「世界史」

仕事に効く 教養としての「世界史」

 

 

醤油・味噌・酢はすごい-三大発酵調味料と日本人

 私は海外に出ても、あまり食のホームシックを感じることがないのだけど、やっぱり時に和食か中華料理が食べられると少し嬉しくなる。醤油が恋しいのか、味噌(豆鼓のようなのも含めて)が恋しいのか、そのあたりは謎だけど、やっぱり染みついた味覚はあるのだろう。

 本書は、醸造が専門の農学者による、発酵食品に関する歴史(進化の歴史と産地の変遷の両方に触れられていて興味深い)、と少しだけ専門的な化学的構成が触れられていて、同じ醤油でも濃い口と薄口、溜まり、といった名前の違いに化学的な説明がつくことによって、調味料を見る目が変わる。そして、料理や食事の際に漫然と調味料を選ぶのではなく、期待するべき効果を基に選択できたり、又は創意工夫のヒントを得て試行できたりするようになる。

 やや専門的な情報も含まれるけれど、文章が平易だし、引用される文献は化学よりも歴史や文学の世界なので、とっつきにくさはなし。日本が誇る発酵食品の世界が本当に面白い。 

 なお、小泉先生は世界中の寄食にも造詣が深く、紀行エッセイもとても楽しい。もちろん専門分野のお酒醸造に関する書籍も面白い。そんなこんなで、読み始めるとついついコレクションしてしまいながら、引き出しの多さ・深さに驚くので他の分野でもおすすめ。

発酵―ミクロの巨人たちの神秘 (中公新書)

発酵―ミクロの巨人たちの神秘 (中公新書)

 

 

森瑤子の帽子

 大きな派手な帽子と真っ赤な口紅、大きな肩パッド。バブル時代にスノッブを自認し、バブリーな生活が憧れをもって見られていたという森瑤子のトレードマーク。私は森瑤子の作品は数冊しか読んだことがなく、当時は年を取ることへの焦りを感じとる素地もなく、ただ男女のおしゃれな恋愛を描いているという印象しかなかった。実際、友人の中でも同じような話を飽きずに書いていると言っている人もいたようだ。量産されて薄まった印象の作品も多く、忘れられる作品も多い作家かもしれない。まあ、それに対して「時代と寝た」と表現できるのは、ザ・森瑤子という感じ。

 そんな彼女の、家族との葛藤は比較的表にでていたけれど、本書で彼女の若い頃の話を読んで思ったのは、月並みだけど寂しい人だったんだなと。人生は華やかで、彼女を悪く言う人が一人もいないように誰からも愛されているけれど、性格が寂しさを感じやすいのか、そう感じる環境を選んでしまうのか。でも、そんな人でないと、華やかな世界を読者があこがれるようには書けないのだろう。

森瑤子の帽子

森瑤子の帽子

 
夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場 (小学館文庫)

夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場 (小学館文庫)

 

 

政治と情念 権力・カネ・女

 サブタイトル通り、権力・カネ・女のバランスが取れた田中角栄・真紀子論。当初は田中真紀子研究だったということだけれども、タイトルが示すとおり田中角栄研究が主。田中真紀子氏はエキセントリックな振舞いが目立つものの、政治家としては合理的な西洋派で、情念という感じではないし(敵への憎しみだけは情念か)、大臣の椅子に座りはしたものの権力を手にしたという感じでもなく、お金周りもプライベートなお金は色々あったようだけどばら撒くわけでもなく、異性関係も少なくとも昭和の男性政治家に比較すれば何もないに等しい。ただ、彼女が政治家になった後で起こす好ましくない振舞いは田中角栄氏が発端になっていることが読んで取れ、セットで論じられた背景が分かる。

 何となく、田中角栄氏はひたすらお金を受け取りばら撒いた政治家、という印象を持っていたけれど、この本を読んで少し考えたのが、彼は元々建設業を営んでおり、代議士になってからも土地開発や土木工事の利権でお金を作りばら撒き、更に力を握り。しかし、自分の出自の利害を代表し、利益を誘導していく、というのは、ある意味筋が通っているのかもしれないという点。ただ、お金も右から左といいつつ蓄財をしっかりしているように、業界利益だけでなく自己の利益をしっかり確保しているところが、偉大な政治家だけど純粋な尊敬だけの対象にならない理由だろうか。

 そして、父親譲りのキャラクターで人気を獲得した真紀子氏ではあるけれど、角栄氏の愛人兼秘書を含む複数の金庫番に対する複雑な気持ち、父親を裏切った父親の元仲間への恨みなど、ネガティブな影響をかなり受けていることが分かり、豪快な印象が吹き飛ぶ。それにしても、世の中の人を、敵・家族・使用人の3分類にしてしまう、というのは驚く。角栄氏は真紀子氏に愛情を注いでいたというけれど、帝王学的な教育はしなかったのだろうか。人が離れていくだけでなく、命を絶った人まで、というのは凄まじい。

政治と情念 権力・カネ・女 (文春文庫)