CoffeeAndBooks's 読書日記

日々の読書を記録しています

桜の園

読む度に、違う味わいがある「桜の園」。

 

はじめて読んだ大学生の頃は、変わることのできないラネーフスカヤ夫人のどうしようもなさと新しい生活に向かって歩き出せるトロフィーモフやアーニャの前向きさが心に残った

ラネーフスカヤ夫人は本当にどうしようもなくて、お金もないのにお金を使うことしかできない。時に反省して見せはするものの、すぐに開き直る。一方で、ラネーフスカヤ夫人のどうしようもなさに対して、トロフィーモフやアーニャは変化に対して前向きで明るい。トロフィーモフの「ロシアじゅうが、われわれの庭なんです」という言葉は力強い。まあ、若者は「元をただせば、まだ本当の人生の姿があなたの若い眼から匿されているので、怖いものなし」だから「勇敢に前のほうばかり見ている」とラネーフスカヤ夫人が語るように、万年大学生とモラトリアムにあるようなトロフィーモフが前向きで強くいられるのは今だけなのかもしれないけれど。

ところで、訳注によると、「ロシアじゅうが、われわれの庭なんです」と語るくだりには、農奴を犠牲にして成り立っていた特権階級の堕落を説く台詞が続く。初演時は、検閲のため一部書き換えられていたそうである。トロフィーモフは別なところでも勤労のないインテリの世界を批判している。勤労の称揚は受け入れられるが特権階級の非難は難しいという微妙な時代と登場人物の多様性、とても興味深い。

 

さて、過去に読んだときはラネーフスカヤに対するトロフィーモフ&アーニャの姿勢の違いが心に残っていたのだけど、久しぶりに読み返すとロパーヒンに対するトロフィーモフの姿勢が印象に残った。

ラネーフスカヤ夫人からちっちゃなお百姓さんと呼ばれていた字もろくに書けなかったロパーヒン(冒頭でも「この本を読んでいたんだが、さっぱりわからん」と述べている)は、商人として成功し、没落していく地主たちを尻目に、ついには祖父・父が農奴であった領地を手に入れる。その後、出自が自分に比べて多少恵まれていたトロフィーモフに対して、お金を渡そうとするところは、ラネーフスカヤ夫人から鍵を手に入れたときと同様に優位な立場を楽しみたいのかなと推測する。しかし、トロフィーモフは強い。「人類は、この地上で達しうる限りの、最高の真実、最高の幸福をめざして進んでいる。僕はその最前列にいるんだ!」と金の権威も否定する。一生懸命にお金を稼いだ成功者に対して、異なる価値観を以って優位に立つ。平成の世の中みたいだ。

 

そして、いつ、どんな気持で、読み返しても同じように美しいのは、ラネーフスカヤ夫人が旅立ちの前に腰を下ろして言うこの台詞。

「わたしまるで、今まで一度も、この家の壁がどんなだか、天井がどんなだか、見たことがないみたい。今になってやっと、見ても見飽きない気持で、たまらなく懐かしい気持で、眺めるんだわ……」

自分にとって当たり前の存在に別れを告げる瞬間の感傷が伝わってくる。

 

それにしても、農奴解放を拒み桜の園に仕え続けたフィールス。変化から逃げ切ったという意味で興味深いけれど、幸せだったのだろうか。自由を拒み仕え続けるという選択が未だにわからない。いつか、彼に共感する日もくるのだろうか。

 

 

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

 

 

 漫画「櫻の園」では、女子高を舞台に美しいモラトリアムが描かれている。ここでの変化は卒業であり、領地を失うことに比べると深刻さは劣るかもしれないけれど、当人にとっての一大事という意味では共通している。こちらも名作。

櫻の園 白泉社文庫

櫻の園 白泉社文庫