CoffeeAndBooks's 読書日記

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家族を想うとき/Sorry We Missed You

longride.jp

 年末のお休みで映画館へ。「わたしは、ダニエル・ブレイク」のケン・ローチ最新作は、再び福祉から漏れている人々について。

 福祉はあっても、必要な人にはなかなか届かない。やりがい搾取で成り立つビジネスに応募する主人公リッキーは、明らかに厳しい条件の請負仕事の面接で「生活保護には頼らない、プライドがあるから」という主旨のことを答える。リッキーは、妻アビーの車を売って手付けを払ってローンで購入する車を使って、すべて自己責任の宅配ドライバーに。リッキーにしても、彼には彼の言い分があって今の境遇だと思うし、短気だけど家族のために必死に生きているのは伝わってくる。ただ、このアビーは本当に悲しい人生を送っているように思ってしまった。酔っぱらって暴力をふるう父親のもとに生まれ、おそらく職業を選ぶために必要な教育は受けていなくて、あまり条件の良くなさそうな訪問介護の仕事をしている。結婚すると仕事が長続きしない夫と暮らし、長男セブは非行に走り、長女ライザはけなげに頑張るけどストレスが体調に表れている。そんななか、夢を見る夫に説得されて仕事に必要な車を売って、バスであっちこっちの家庭に訪問介護。リッキーの会社ほど非人道的ではないけれど、ぎりぎりの体制と低賃金で回している訪問介護の仕事はストレスフルだろう。しかし、そんな彼女がいっぱいいっぱいの気持ちを爆発させるシーンで、笑っている観客がいて、少し混乱。私が読み取れないだけで、ユーモラスに作ってあったのかもしれないけれど、私は悲しい場面に見えた。

 ところで、原題の"Sorry We Missed You"は不在連絡票に描かれている文句なのだけど、両親の問題が新自由主義経済の犠牲者としての不遇とすると、子どもたちの問題は両親の不在である、ということだろうか。少なくとも両親は家族のために、と身を粉にして働いているのだけど、決定的な出来事が起こるまで非行に走るセブ、本人を責めることは決してできないだろうけど大きなダメージを与えるきっかけを作ってしまうライザ。特にライザは家族で一緒にいたいと思っているけれど、両親が描く幸せを実現するには超過労働で家を空けて働き続けるしかない。イギリス人にとって、自分の家を持つことがどれくらいの意味を持つのか、私にはわからないけれど、家を持つことを考えなかったら、貧乏でも幸せな一家としてもう少し家族で一緒にいられるのかもしれない。そう思うと、労働力を搾取される社会も問題があるけれど、搾取されずに幸せに生きようと思ったら、各人が価値観を変えることも必要なのかもしれない。

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