CoffeeAndBooks's 読書日記

日々の読書を記録しています

デトロイト美術館の奇跡

 つい最近の実話に基づく小説。主な登場人物は3名いて、うち1名のみが実名の実在の人物ロバート・ハドソン・タナヒル。このタナヒル氏は大富豪で近代美術コレクターとして名を馳せ、デトロイト美術館の支援者であり、死後にも大量の美術品を残した人物。そして、のこる2名は、デトロイト美術館の学芸員ジェフリー・マクノイドと常連客フレッド・ウィル。常連客と言っても、もともとは美術に興味のなかった彼は自動車産業の傾きにより早期リタイヤを余儀なくされた後に通い始めた、割と歴は短い常連客。彼をデトロイト美術館に引き合わせた妻は既に亡く、妻が友人たちと呼ぶ絵画に会うため、その家である美術館に通う。

 フレッドのセザンヌとの向き合い方は、美術品の金銭的な価値や評価とは関係なく、とにかくその絵に惹かれ、対話を楽しむというもの。だから、自治体の破綻に伴いコレクションが売却されようというときには、友人を助ける気持ちで行動する。美術館の負債額に比べると彼が拠出できる金額はその0.001%にも満たないけれど、ハチドリの一滴を決して軽く見てはいけない。塵も積もれば、ということと、誰かの熱意は大きな力を動かす、ということで、タイトルにふさわしい進行をしていく。

 既に報道も十分にされている実話に基づくので、大きなサプライズはないけれど、代わりに、小さな感動が散りばめられた本書は落ち着いて静かな時間を過ごすときに適した一冊だと思う。コロナ禍が落ち着いたら、また美術館通いを再開したいなとも。

 

 

ノスタルジーはスーパーマーケットの2階にある

 スーパーマーケットの2階。今の住まいの近くにはあいにくと存在しないけれど、昔の記憶をたどると確かに存在した不思議な空間。子どもの頃に住んでいた地域では、ちょっとかわいらしい文房具とか、カードゲームなんかが売られていた記憶。ということで、ノスタルジーの狩り場としては適していそう。

 本書はスーパーマーケットの探訪だけをするのではなく、各スーパーのエコバッグを比べてみたり、スーパーのレシピカードを集めてみたり、なかなか面白い。そして、やってみたら面白いかもと思うことを実際に行動して共有してくれるところも楽しい。おでんの具材は何が一番出汁を吸い込むのか実験したり、公園で火気を持ち込まずにキャンプ気分を味わったり。久々に本を読んでおなかが痛くなるまで笑ったかもしれない。

 コロナ禍の巣ごもりはまだまだ続きそうな今日この頃、少し気分が滅入っても吹き飛ばしてくれそうな一冊である。飲み会でいつも周りを笑わせてくれる人が文章力にたけていたらこんな感じだろうか。

 そして、自宅と半径数十メートル以内で、一人または近しい存在だけで実践できて生活を一段楽しくしてくれそうなヒントが沢山詰まっているので、真似しても楽しいと思う。

 

今につながる日本史

 執筆の背景は、BSの番組にてキャスターとしての仕事をするため、『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』の言葉をヒントに効率的な知識や背景の仕入れのため歴史を勉強したことがきっかけとのこと。ということで、各項目は、最近の出来事と歴史上の出来事を対比させた構成になっている。たとえば、「だから光秀はキレた?本能寺の変「珍説」の真相」では、記憶に新しい「このハゲ、ちがうだろう」事件と本能寺の変を対比。

 本書は歴史ミステリーではなく、あくまでも歴史をヒントに今起きていることを理解することが目的なので、歴史の真相に迫るような深さは求めていない。ただ、多岐に渡る文献に言及しており、大人の教養を身に着ける上では非常に参考になる。ここで諸説存在することやそれぞれの説の妥当性や信ぴょう性を一定は評定してくれるため、興味のある歴史上の出来事に対して、自分なりの考えを深めたいと思ったときの最初の数歩が示される点もありがたい。 

 また、対比の対象となっている現代の出来事についても、日々の報道で読んでいた時の知識は断片的であったり、その瞬間の最新であったりするので、少し落ち着いてから全体を俯瞰してみると自分の知識に誤りがあることも多い。こうした点の修正にも、非常に参考になるまとめ方がされていると思う。自分自身でも、面白いと思った出来事はウォッチし続けて、後でまとめたり、似ていると思われる歴史上の出来事を対比してみても良いのかもしれない。

 そして、歴史好きのスモールトークを改善するのにも参考になると思われる。序論の「今は歴史本のブームといわれるが、」のくだりに、膝を打つ。最近は「〇〇の真相」としてトンでもな珍説を嬉しそうに語り続ける人や、歴史好き同士が集まるとそれぞれがニッチを極めすぎていて容易には話が弾まないという事態が割とある。私自身も関心を持っている領域の歴史について、きわめて細に入り、な話をしてしまうことも多いので、中道的な多くの人に興味を持ってもらいやすい、楽しんでもらえる知識の開陳がどんなものか、という点でも非常に勉強になった。

 元々がオンラインコラムということで、各項が独立していることとフォーマットが安定していることは、隙間時間に関心のある項、興味を引いた項を読むのに向いている。最近は自宅で仕事をしているので、ちょっとした会議の隙間時間に本を読むことにしているが、あまりにも引き込まれてしまうもの、区切りのないものは向いておらず、選書に悩むことも多い。そういった人には是非ともおすすめしたい一冊。

今につながる日本史 (単行本)

今につながる日本史 (単行本)

  • 作者:丸山 淳一
  • 発売日: 2020/05/19
  • メディア: 単行本
 

 

ミステリと言う勿れ

 カレーが大好きで、理屈っぽく少し変わった大学生が主人公。枕の草紙を引用しつつ、カレー日和だとカレーを作り始めるところから第1話開始。最初のうちは1話完結、前後編完結、で閉鎖空間での謎解きとちょっとしたお説教をするだけだったのが、広島に行く頃から連続ものに。結果、続きが気になって既刊をすべて読んでしまった。

 各事件の謎解きだけでは、少し物足りないところがあるけれど、実はある事件の被害者がほかの事件にも関係して、という人物関係の広がりは面白い。作者の1巻あとがきによれば、舞台劇のようなイメージの、閉鎖空間での会話だけのお話を意図しているそうで、確かに動きが少ない会話主体の展開。コマから読み取るよりも、文字で読める情報が多いので、普段から漫画をあまり読みつけない人にも読みやすいかもしれない。絵柄もきれいだし。

 この漫画のメインである説教は、青臭いところもあるけれど、今のところ作者の倫理観が共感しやすいものなので、私は読みやすかった。説教内容は、ジェンダー差別から、なぜ人を殺してはいけないのか、幼児虐待にどう対応するべきか、などのテーマまで。いつも女性が言う言葉を、女性向けの漫画の中とはいえ、男性に言わせるとなんだか新鮮だ。

 色々な話があるけれど、一番好きなのは4巻の牛田さん。この漫画は、常にたった一つの正義を振りかざすものではないところも個人的に好きなのだけど、やっぱり「世間一般としてあるべき行動」に目を瞑るかどうかは、こういうところだな、と。しかし、この話が後になってあんな事件につながるとは。

 また、2巻の新幹線の話は、少しシャーロックホームズのような謎解きが面白かった。しかも、これは漫画だからこそだな、と思う。最後の含みのダークさも、後を引く感じ。これが何かの伏線になっていたらすごいけれど、これは続く広島編の導入に過ぎないのだろうか。

 

ミステリと言う勿れ コミック 1-6巻セット

ミステリと言う勿れ コミック 1-6巻セット

  • 作者:田村由美
  • 発売日: 2020/02/10
  • メディア: コミック
 

  ところで、第6巻に紹介される漂流郵便局は実際のプロジェクトのようだ。私は特に出したい手紙もないけれど、少し気になる。

www.fujingaho.jp

 

ケーキの切れない非行少年たち

 非行少年が普通の人と違う(サイコパス的な)、ということを言う本ではない。医療少年院、女子少年院にて勤務経験を有する精神科医が出会った「反省以前の子ども」たちの実態と、著者による提言。

 

 本書によれば、凶悪犯罪を行った少年の中には、何故そのようなことを行ったのかと尋ねても、難しすぎてその理由を答えられないという子がかなりいるらしい。だから、更生のための内省や自己洞察ができない、反省以前である、と。保護者が子どもの発達上の問題に気づいて対処していれば治療等の手立てもあるようだが、保護者・養育環境がそういった対応をできない子どもたちが非行に走ることがある。

 かつての知的障碍者の基準は「IQ85未満」、現在は一般的に「IQ70未満」である。IQ70~84は、「境界知能」と呼ばれる。人数の割合としては、クラスが35名いたら5名。時代によっては障害と認定されるこうした人たちが、生き辛さを抱えながらも、普通の生活を送っている。明らかな障害が認められれば、何らかの支援を受けられたかもしれない人たちが、気づかれずに「勉強ができない」「対人関係が苦手」「スポーツも苦手」といった形で表出した部分が原因で、いじめに遭うリスクが高く、そのストレスによって更に弱い存在に加害しているという事実は、とても衝撃的だ。そして、いじめをしなくても、実は発達上の問題によってコミュニケーションが不得手な人たちに対して、私たちは必要な配慮ができずストレスをかけている可能性もある、ということ。

 例えば、ある事件の容疑者は軽度知的障害で療育手帳を有していたが、過去には陸上自衛隊で勤務経験があり、大型一種免許や特殊車両免許等を持っていたという。軽度の知的障害や境界知能の人たちは、周囲にほとんど気づかれることなく生活していて、何か問題が起こったときに「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまう、ということだ。著者の見立てでは、実は虐待してしまう親のなかにも、こうした人々が含まれているのではないか、とも。

 考えてみれば、私の通っていた中学や小学校、特殊学級には入っていなかったけれど明らかに学習が困難な同級生がいた。田舎だったので、彼らはそういった事情がハンディキャップにならない職業に就くことができたけれど、例えば彼らがサービス業だったり、工程の複雑な製造業に就職したら、配慮が必要な人材だろう。でも、実際にそういった人たちを識別することはできないし、本人も何故自分がつらいのかを言語化することもできないので、ただただ難しい状況ですね、となってしまう。

 そういった意味で、犯罪者にも同情の余地のある人たちは多くいる。とはいえ、生き辛さを理由に殺人や性犯罪を起こされていては困る。しかも、後先を考えることはできなくても、弱いものを選んで犯行に及ぶことはできるのだから。実は、幼児に対する強制わいせつをする非行少年は、概して特別に強い性欲の持ち主ではないらしい。大人の女性には興味がないし、「9歳を超えると怖い」そうである。こうした少年は、対人認知の歪みやアダルト動画等に影響され、「この子だったら自分のことを理解してもらえる」「強姦は実は喜んでいるんだと思った」という悍ましい考えを持つにいたる。そして、実際の犯行の動機として、最初は「性欲」と言ったりもするが、最終的には「ストレスの発散のため」となるらしい。いじめ被害等のストレスが原因で、自分よりも確実に弱い存在に対して、一生を台無しにしたり、命を奪うような犯行をはたらいている。こうした人たちが加害者にならないように、適切な対処をする必要がある。

 その対処として、「褒める」「話を聞いてあげる」は、根本的な解決にはならなくて、必要なのは社会面の支援、という具体的な提言は多くの人に広めたい。社会面の支援は、「対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身に着けさせること」である。これらは、集団生活を通して自然に見つけられる子どもも多いが、発達障害や知的障害をもった子どもが自然に身に着けることは難しい、と。でも、自然に身に着けることが難しいということは、適切な方法をとれば身に着けることができる、ということ。本書で紹介されているコグトレ(1日5分で日本が変わる)が広まって、効果が出ると良いと切に思う。犯罪者を納税者に。

獄窓記 (新潮文庫)

獄窓記 (新潮文庫)

 

 

コリーニ事件/Der Fall Collini

collini-movie.com

 ドイツの現役弁護士である作家フェルディナント・フォン・シーラッハが原作の、法と正義のジレンマを扱うリーガルサスペンス。感想にネタバレになってしまう部分があるので、事前の余分な情報なく映画館に向かいたい方はここまで。上映している映画館は少ないけれど、とても素晴らしい映画。

 

 この物語を、ドイツ人が描いたことに衝撃を受ける。日本では、戦争に関係する映画というと、我々の被害を語るものか、英雄に関するものが多いけれど、ドイツ映画はドイツの過去に正面から向き合っている印象。そして、立派な人物、良き市民に、過去を遡ると戦時中のナチス協力や戦争犯罪が出てくることを描き、関係者の苦悩を描いている印象。もちろん、過去を美化するものがないわけではないけれど。

顔のないヒトラーたち/Labyrinth of Lies - CoffeeAndBooks's 読書日記

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手紙は憶えている/REMEMBER - CoffeeAndBooks's 読書日記

 

 さて、本作について。主人公はトルコ系の新人弁護士ライネン。資格を得て3か月、ライネンは、殺人事件の国選弁護人を務めることになる。実はその被害者が子どもの頃にお世話になった富豪であり、夭逝した友人の祖父、元恋人の祖父。通称の名前と法律上の名前が異なることから最初は知らずに引き受ける。

 被告はドイツでまじめに働いてきたイタリア人、とされる。検視の結果、かなりの憎悪を持って臨んだ犯行と見え、かつ、凶器や被害者に会った経緯から計画的な犯行と見える。しかし、その動機は被告の口から語られることなく、謎に包まれたまま。

 ある会話を糸口に、被告の過去をライネンは調べ、かつての恩人の過去に行きつく。そして、当時の時代背景を考慮すると正しかった立法によって、法的には正しく正義が達成されなかった事実にも。法廷での法律と正義の議論は、冷静だけど熱い。プロフェッショナルとして、過去に自分が関与した仕事を否定できるか、という観点でも。

 最後に被告のコリーニが選択したことは、これは問題提起のフィクションであるため慎重になったのだろうか。実際、この映画を機にドイツの連邦司法省内で調査チームの立ち上げにつながり、という紹介がされていた。ただ、問題の法律や関係する議論が少し調べただけではよくわからず、残念。これはドイツ語が分からないと調べられないのだろうか。

 

 原作は戦後60年の2011年に発行された。原作者のフォン・シーラッハは、戦犯として服役した元ナチスの将校を祖父に持つ。なお、祖父も"Ich glaubte an Hitler" (ヒトラーを信じていた)という書籍を生前に刊行しているが、英訳・和訳はなさそう。

 この機に原作も読んでみたいところ。原作と映画を比べてみたいのは、被害者マイヤーの最期について。映画では、負い目があったのかなと示唆するような場面があったけれど、これについてどう書かれていたのだろう。

 

新・トルコで私も考えた2020

 おしゃれな雰囲気と少し大人っぽい内容が大好きだった高橋由佳利氏の一人旅から始まる、トルコと日本を行き来する人生が綴られるエッセイ。

 掲載開始から四半世紀。最初は旅行者、短期滞在者の視点で描かれていたトルコが、生活者の視点になり、離れて暮らすホームのような位置付けになり、とトルコ自体の変化もあれば、作者とトルコの関係の変化もあって、シリーズ通して読んでいると非常に感慨深い。

 最新刊は、25年ぶりの同窓会や息子さんの就職活動、家族全員のリモート化、老後に向けたお話など、単純なトルコ情報や異文化交流としての面白さだけでなく、帰属意識アイデンティティについて、いろいろと考えさせられる一冊だった。息子さんの就職活動のエッセイの話。両親の祖国のどちらに言っても外国人扱いをされる、という話は過去に習っていた語学の先生も同じような状況を話してくれたことがあったけれど、深く聞くことができなかった話題だったので、特に興味深かった。もちろん、単純な話ではないし、似たような環境に見えても経験することや感じ方は十人十色で違うものだとは思うけれど、考え方の一部を知ることができたのは貴重だと思う。