CoffeeAndBooks's 読書日記

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蜩ノ記

 こんなに素晴らしい小説を、出版から2年も知らないまま過ごしていたことが悔やまれる。

 

 主人公 檀野庄三郎は、不始末のため切腹となるところ、ある任務と引き替えになった。七年前に別な事件により「十年後の切腹」と「藩主の家譜編纂」を命じられた元郡奉行 戸田秋谷の監視と編纂の補助、七年前の事件の真相を探ること、秋谷に不穏な動きがあれば切り捨てること。しかし、秋谷の清廉さから七年前の事件を主人公は信じられず、かけられた疑いをはらすべきと考える。ところが、秋谷はそうしない。「忠義とは、主君が家臣を信じればこそ尽くせるもの(中略)主君が疑いを抱いておられるのなら、家臣は、その疑いが解けるのを待つほかない」と。清々しい。実際に自分がこの立場におかれても、絶対にこうは言えない。

 

 ふと思ったこと。『蝉しぐれ』も『蜩ノ記』も、切腹するのは主人公ではない。立派に切腹できる人間は過去にきっといたのだろうけれど、やはり誰もが感情移入できる対象ではないはずだ。けれども、こうした人物に触れた誰かが成長したり、心持を変えるということであれば、入り込める。そして、ここは命を懸けてしまうかも、と主人公が何かに立ち向かうときに共感してしまうのではないか。

 秋谷の元での三年は庄三郎を大きく変える。

 これは秋谷の存在だけが理由ではなく、もう一人、素晴らしい人物がいる。村の少年で、秋谷の息子の友人である源吉。百姓が使う武器について「(教わることを)おれは断った。覚えてしもうたら使いたくなるに決まっとる」と語る。これは真理だと思う。この発言だけでなく、生き方の立派さでは秋谷に引けをとらない源吉。”Life is beautiful"のお父さんみたいだ。

 

 一方で、敵である家老も只者ではない。悪者ではあるけれども、彼には思想がある。秋谷の切腹が清廉さのために意地を張った結果ではなく、藩にとって大きな意味を持つことを承知しているのは彼だけだ。だから彼は巨悪であろうとする。組織の複雑さを痛感させられた。

蜩ノ記

蜩ノ記