政治と情念 権力・カネ・女
サブタイトル通り、権力・カネ・女のバランスが取れた田中角栄・真紀子論。当初は田中真紀子研究だったということだけれども、タイトルが示すとおり田中角栄研究が主。田中真紀子氏はエキセントリックな振舞いが目立つものの、政治家としては合理的な西洋派で、情念という感じではないし(敵への憎しみだけは情念か)、大臣の椅子に座りはしたものの権力を手にしたという感じでもなく、お金周りもプライベートなお金は色々あったようだけどばら撒くわけでもなく、異性関係も少なくとも昭和の男性政治家に比較すれば何もないに等しい。ただ、彼女が政治家になった後で起こす好ましくない振舞いは田中角栄氏が発端になっていることが読んで取れ、セットで論じられた背景が分かる。
何となく、田中角栄氏はひたすらお金を受け取りばら撒いた政治家、という印象を持っていたけれど、この本を読んで少し考えたのが、彼は元々建設業を営んでおり、代議士になってからも土地開発や土木工事の利権でお金を作りばら撒き、更に力を握り。しかし、自分の出自の利害を代表し、利益を誘導していく、というのは、ある意味筋が通っているのかもしれないという点。ただ、お金も右から左といいつつ蓄財をしっかりしているように、業界利益だけでなく自己の利益をしっかり確保しているところが、偉大な政治家だけど純粋な尊敬だけの対象にならない理由だろうか。
そして、父親譲りのキャラクターで人気を獲得した真紀子氏ではあるけれど、角栄氏の愛人兼秘書を含む複数の金庫番に対する複雑な気持ち、父親を裏切った父親の元仲間への恨みなど、ネガティブな影響をかなり受けていることが分かり、豪快な印象が吹き飛ぶ。それにしても、世の中の人を、敵・家族・使用人の3分類にしてしまう、というのは驚く。角栄氏は真紀子氏に愛情を注いでいたというけれど、帝王学的な教育はしなかったのだろうか。人が離れていくだけでなく、命を絶った人まで、というのは凄まじい。
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