CoffeeAndBooks's 読書日記

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ケーキの切れない非行少年たち

 非行少年が普通の人と違う(サイコパス的な)、ということを言う本ではない。医療少年院、女子少年院にて勤務経験を有する精神科医が出会った「反省以前の子ども」たちの実態と、著者による提言。

 

 本書によれば、凶悪犯罪を行った少年の中には、何故そのようなことを行ったのかと尋ねても、難しすぎてその理由を答えられないという子がかなりいるらしい。だから、更生のための内省や自己洞察ができない、反省以前である、と。保護者が子どもの発達上の問題に気づいて対処していれば治療等の手立てもあるようだが、保護者・養育環境がそういった対応をできない子どもたちが非行に走ることがある。

 かつての知的障碍者の基準は「IQ85未満」、現在は一般的に「IQ70未満」である。IQ70~84は、「境界知能」と呼ばれる。人数の割合としては、クラスが35名いたら5名。時代によっては障害と認定されるこうした人たちが、生き辛さを抱えながらも、普通の生活を送っている。明らかな障害が認められれば、何らかの支援を受けられたかもしれない人たちが、気づかれずに「勉強ができない」「対人関係が苦手」「スポーツも苦手」といった形で表出した部分が原因で、いじめに遭うリスクが高く、そのストレスによって更に弱い存在に加害しているという事実は、とても衝撃的だ。そして、いじめをしなくても、実は発達上の問題によってコミュニケーションが不得手な人たちに対して、私たちは必要な配慮ができずストレスをかけている可能性もある、ということ。

 例えば、ある事件の容疑者は軽度知的障害で療育手帳を有していたが、過去には陸上自衛隊で勤務経験があり、大型一種免許や特殊車両免許等を持っていたという。軽度の知的障害や境界知能の人たちは、周囲にほとんど気づかれることなく生活していて、何か問題が起こったときに「どうしてそんなことをするのか理解できない人々」に映ってしまう、ということだ。著者の見立てでは、実は虐待してしまう親のなかにも、こうした人々が含まれているのではないか、とも。

 考えてみれば、私の通っていた中学や小学校、特殊学級には入っていなかったけれど明らかに学習が困難な同級生がいた。田舎だったので、彼らはそういった事情がハンディキャップにならない職業に就くことができたけれど、例えば彼らがサービス業だったり、工程の複雑な製造業に就職したら、配慮が必要な人材だろう。でも、実際にそういった人たちを識別することはできないし、本人も何故自分がつらいのかを言語化することもできないので、ただただ難しい状況ですね、となってしまう。

 そういった意味で、犯罪者にも同情の余地のある人たちは多くいる。とはいえ、生き辛さを理由に殺人や性犯罪を起こされていては困る。しかも、後先を考えることはできなくても、弱いものを選んで犯行に及ぶことはできるのだから。実は、幼児に対する強制わいせつをする非行少年は、概して特別に強い性欲の持ち主ではないらしい。大人の女性には興味がないし、「9歳を超えると怖い」そうである。こうした少年は、対人認知の歪みやアダルト動画等に影響され、「この子だったら自分のことを理解してもらえる」「強姦は実は喜んでいるんだと思った」という悍ましい考えを持つにいたる。そして、実際の犯行の動機として、最初は「性欲」と言ったりもするが、最終的には「ストレスの発散のため」となるらしい。いじめ被害等のストレスが原因で、自分よりも確実に弱い存在に対して、一生を台無しにしたり、命を奪うような犯行をはたらいている。こうした人たちが加害者にならないように、適切な対処をする必要がある。

 その対処として、「褒める」「話を聞いてあげる」は、根本的な解決にはならなくて、必要なのは社会面の支援、という具体的な提言は多くの人に広めたい。社会面の支援は、「対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力を身に着けさせること」である。これらは、集団生活を通して自然に見つけられる子どもも多いが、発達障害や知的障害をもった子どもが自然に身に着けることは難しい、と。でも、自然に身に着けることが難しいということは、適切な方法をとれば身に着けることができる、ということ。本書で紹介されているコグトレ(1日5分で日本が変わる)が広まって、効果が出ると良いと切に思う。犯罪者を納税者に。

獄窓記 (新潮文庫)

獄窓記 (新潮文庫)