CoffeeAndBooks's 読書日記

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ブエノスアイレス/春光乍洩

20数年経って再会した映画。4Kリマスターによって美しくなった画面、特にファイがボートに乗っているシーンの水面の美しさに感動。ウォンカーウァイ、クリストファー・ドイル、と言えば映像の美しさとスタイリッシュさ。全体的に薄汚れた感じの風景なのに美しくてスタイリッシュ。そこは変わらないけれど、他の作品に比べて本作は人間関係がシンプル。

香港からの旅行者であるゲイのカップル、ウィンとファイ。そして、台湾からの旅行者であるチャン。全員が地球の反対側で文無しになり、ファイはタンゴバー、中華料理店、精肉工場で働きお金を稼ぎ(彼には現地での生活費以外にも稼ぐ必要性があった)、ファイとチャンは中華料理店の同僚として知り合う。一方で、ウィンはパトロンを見つけて過ごす。考えてみると、レスリー・チャンはどの映画でも「定職につかない」役をしているような気がする。浮世離れしたところが魅力ではあるけれど。他の登場人物は何かの事件(ウィンが怪我をしたり、ファイが職場で喧嘩したり)の必要性によって登場するけれど、関係性としては、ウィンとファイ、ファイとチャンの間でしか進展しない。地球の反対側にいる、現地の言語を話さない旅行者たちの物語。

そして、時代背景。香港返還直前の物語で、返還に関する各種の質問に対するウォン・カーウァイの回答はこの映画らしい。

チャンが南極の目前に到着するのは1997年1月。

ファイが地球のこちら側に戻るのは1997年2月。

彼らは香港に留まった(他に選択肢がなかった)人々、カナダや英国を目指して出ていった(またはその選択肢を持った)人々を投影した存在でもあったのだろうか。香港返還に関して、色々な不安やフラストレーションが香港人にはあって、実際にレスリー・チャンもカナダへの移住準備をしていた。その不安やフラストレーションを抱えて生活を続けるのはお互いに幸せを感じられないのに離れられない不健全な恋愛を続けることに似ているような気がする。一度、離してみると、思いの外に前向きになったりもする。そして、ファイが台北でチャンが幸せなのは「いつでも帰ることができる場所を持っているから」と気付いたところは、香港を離れるかどうかは別にして帰れる場所があれば幸せということなのか。そして、会いたいと思えば会える、というメッセージ。

とりとめないけれど、なんとなく、この映画を改めて観て、すべては自分の考え方ひとつ、という気持ちになってきた。そもそも、ウィンとファイが一緒に居続けた期間も、前半は「怪我をしているウィンを放ってはおけない」、後半は「パスポートをファイが返さない」という理由付けがあるように見えて、遠い異国の地で文無しになっても生活できる人々にとって大きな理由ではないような理由で一緒にいる。段々と険悪になって、居心地が悪くなって、それでも離れられない関係は存在して、なにか一緒にいる理由があると安心する。でも、いつかは破綻する。人生のあらゆる局面に共通すること。

ファイは断ち切ることで前に進むことにしたのかと思ったけれど、「やり直そう」がキーワードだから、いつかやり直すことになるのだろうか。