CoffeeAndBooks's 読書日記

日々の読書を記録しています

無私の日本人

 貧しい宿場町を救うため、お上にお金を差し出し、利息で町を救おうとした商人・穀田屋十三郎とその仲間たち。映画『殿、利息でござる!』の原作でもあるけれど、映画予告のドタバタした雰囲気はなく、全体を通じて悲壮感が漂っている。しかし、この十三郎の気持ちの強さはすごくて、きっちり無理難題と思われた金額を用意して、周りのサポートも得て悲願を成就させる。それにしても、これだけの偉業を誇ってはいけない、子孫は常に町の集まりでも末席に座るべしと言い残すのはすごいこと。

 武士道が武士だけのものでなく、江戸時代の町人・農民の矜持が素晴らしかったというエピソードは『蜩ノ記』における源吉を思わせる。幸いにして、十三郎とその仲間たちは命を捨てることなく偉業を達成できたけれど、その覚悟は並大抵でない。本当に私心があったらできない。

 

 ほかに、市井の儒学者・中根東里や尼僧・大田垣蓮月に関する評伝も収録されているけれど、後世に名の残らなかった偉大な人々を紹介しようという意欲は素晴らしいものの、少し情報量が異なるため本としてのバランスは崩れたかもしれない。ただ、私心を持たず人を利する生き方をした清々しい昔の日本人を知ることができた点に感謝の一冊。 

無私の日本人 (文春文庫)

無私の日本人 (文春文庫)

 

 

マリコ、カンレキ!

 長距離移動があったので、駅の書店に寄ってみたところ、林真理子フェア。ちょうど未読の文庫2冊を見つけ購入。

 まず、びっくり。林真理子さんが還暦を迎えた時期のエッセイが、もう文庫本になっている。やっぱり最近の60代は元気。ananのエッセイと週刊文春のエッセイで重複する交流関係やイベントも多少はあるものの、ananは出版業界やファッション関連の内輪ネタが多く、週刊文春では少し広めに文化人や実業界との交流や日常生活に関する話が多い印象。ananは月刊だったと思うけど、週刊誌の連載でこれだけのネタが出てくるなんて、ものすごい活動量。しかも、これだけ忙しそうなのにNHKの朝の連ドラも見ているなんてすごいことだ。

 全体的には『マリコ、カンレキ!』の方が某有名芸能人と経歴の怪しい女性の献身的な愛を描いた作者へのメッセージやメディアへの突っ込みや某人材会社の社長とのやり取り、チャリティオークションなど面白い話が多かったけれど、『突然美女のごとく』ではあちゅう氏と思われる人物との食事会の話や美には暇が必要という発見などがあって、面白い。そして、『マリコ、カンレキ!』巻末の花子とアン』脚本家との対談も良かった。どうにも柳原白蓮という人には良い印象を持っていなかったけれど、今度いろいろと読んでみよう。

 

マリコ、カンレキ! (文春文庫)

マリコ、カンレキ! (文春文庫)

 

 

突然美女のごとく (マガジンハウス文庫)

突然美女のごとく (マガジンハウス文庫)

 

 

Mon Roi

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 主人公がエキセントリックで完全に感情移入はできないものの、場面場面で共感して切ない気持ちになる映画。

 『ベティ・ブルー』を引き合いに出して紹介されるだけあって、情熱的で、不安定な愛の物語。弁護士のトニとレストランを経営するジョルジオはクラブで出会い、惹かれあい、子供を持ち結婚するも、うまく行かない。理屈で考えると、一緒にいても不幸になるタイプの男性であるジョルジオ。精神を病んだ元恋人の世話を焼きつつ、ストレスで不安定になった身重の妻に別居婚を申し出たり、借金のかたに妻の元々の財産だった家具まで差し押さえられる夫なんて、一緒にいても幸せになれる気がしない。色々と理由を付けて関係の修復を試みるトニーも、やがて別れを何度か切り出す。でも、今度はジョルジオが離れない。

 落ち着いた生活を持つこと、妻や子に責任を持つことの重圧から薬や酒、遊び仲間に耽溺する気持ちは分からなくもないけれど、身勝手なジョルジオ。しかし、とても魅力的であるのも事実、と見えるようにヴァンサン・カッセルの演技と佇まいは抜群の説得力を持つ。そして、時に興奮をぶつけ叫んだり泣いたりするトニーの終盤の表情は、何とも言えない人の複雑な気持ちを感じさせる。理屈を超えて人に抱く感情の正体は分からないけれど、そんな気持ちが伝わってくるようで素晴らしかった。

 

モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由 [DVD]

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江戸の備忘録

 昨年、ヒットした映画「殿、利息でござる」の原作『無私の日本人』の作者による江戸の教育事情などを含む歴史雑学が詰まった一冊。古文書にあたり出典を明らかにしつつ分かりやすく読みやすい文章で書かれているので、安心して読めるし、仕入れた情報は思わず誰かに話したくなる。意外なことに多かった寺子屋の先生に占める女性の率の高さ、一方で奥屋敷で行動の不自由な女性の犬の溺愛ぶりを示す狆の墓など興味深い。年賀状の原点は年始のあいさつ回りで置いて帰った名刺というのも、『とりあえず名刺置いて帰ります』というような営業につながっているのだろうか、と考えると面白い。

 興味深いエピソードだけでなく、鈴木今右衛門の清貧エピソードなどは思わず涙が出てしまう。飢饉に際して人を救うために田畑・家財道具を売り払った夫に晴着を売って答える妻、そして最後には震える飢えた女の子を救うために自分の娘に着ている二枚綿入れのうち一枚を脱いで渡すよう促し、娘は快く応じる。それこそが夫婦が娘に伝えようとしていたことだった、と。私も見習わなくては。 

江戸の備忘録 (文春文庫)

江戸の備忘録 (文春文庫)

 
殿様の通信簿 (新潮文庫)

殿様の通信簿 (新潮文庫)

 
江戸の家計簿 (宝島社新書)

江戸の家計簿 (宝島社新書)

 

 

国盗り物語

 最近、進められて読み始めたら止まらず一気に読んでしまった。

 美濃の蝮 斎藤道三が油売りから一国を手中におさめ、娘の嫁ぎ先である織田信長が天下を取り、娘のいとこにあたる明智光秀が謀反を起こし3日天下の後に敗れるまで。

 近年の研究で、油売りから国主への成り上がりは一代で達成したものではなくて、親子二代の成果と言われているようだけど、二つの人生を歩む、それもいずれも美女と栄華がついてくるなどというのは誰もが夢見ること。それだけでも面白いけれど、人間関係や心情の描写が素晴らしく、利用された人たちにも血が通ってみえる。

 また、明智光秀が道三に仕えたことがあるかどうかが分かる情報はないとも聞くけれど、道三の弟子である信長と光秀という関係性が入ることで、少し気持ちがわかるような気もした。人の面前で恥を欠かされたことを恨み、という話も有名ではあるものの、相手は信長だし、と思えば謀反を起こすには至らないような気がしてしまう。ただ、同じように天才に師事しつつ、ある部分では自分が優れていると思っている相手が天下を取ろうとしている。そして、天下を取った暁には自身が粛清されるであろうことが予想できる、となれば、結末の予測も難しくはない一方でほかの選択肢もないという事態も想像できる。

 元々は道三の生涯だけを描くつもりだったという国盗り物語であるけれど、この後編は続編ではなく全編を通じて読むことに価値がある一連の物語、と思わされた。

 

国盗り物語1~4巻完結セット

国盗り物語1~4巻完結セット

 
国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉 (新潮文庫)

国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉 (新潮文庫)

 
国盗り物語〈第3巻〉織田信長〈前編〉 (新潮文庫)

国盗り物語〈第3巻〉織田信長〈前編〉 (新潮文庫)

 
国盗り物語〈2〉斎藤道三〈後編〉 (新潮文庫)

国盗り物語〈2〉斎藤道三〈後編〉 (新潮文庫)

 
国盗り物語〈第4巻〉織田信長〈後編〉 (新潮文庫)

国盗り物語〈第4巻〉織田信長〈後編〉 (新潮文庫)

 

 

レシピ公開「伊右衛門」と絶対秘密「コカ・コーラ」、どっちが賢い?

 特許・知財の戦略について少し勉強。

 特許を取るということは、技術が公になるということ(特許公報はすべて見えてしまう)。そして、アイディアに国境はないけれど、特許には国境があるということで、日本で特許をとっても世界で権利が守られるわけではない。実際、日本企業の特許公報を見て研究開発の手間を削減している企業の話なども出てきて複雑な気持ちになる。でも、世界中で特許を取るなんて、余程の技術でない限り難しそうだし。

 特許の取得は、真似をされたときに真似されたと戦えるもの(形状の工夫など)には向くけれど、戦いにくいもの(製法・技術など)には向かない。だから、コーラの製法は秘密。ただ、タイトルに挙げられている伊右衛門のレシピは、特許により公開された部分を真似しても同じ味にはならず、宣伝効果も期待されるのでアリとのこと。オープンにするところとクローズにするところを考えるオープン・クローズ戦略が重要ということで、グリコのポッキーの例は分かりやすく興味深かった。 

 

レシピ公開「伊右衛門」と絶対秘密「コカ・コーラ」、どっちが賢い?:特許・知財の最新常識

レシピ公開「伊右衛門」と絶対秘密「コカ・コーラ」、どっちが賢い?:特許・知財の最新常識

 
なぜ、伊右衛門は売れたのか。

なぜ、伊右衛門は売れたのか。

 
あの商品は、なぜ売れたのか

あの商品は、なぜ売れたのか

 

 

かんかん橋をわたって

 展開が予想外過ぎて一気に読んでしまった。しかし、世の中には伏線を回収できない漫画が大量にある中、本書にはほとんど伏線がないように見受けられ、驚く。だからこその自由な展開なのだろうか。

 

 前半は、町一番のおこんじょう(土地の言葉で意地悪)を母に持つ男性に嫁いだ主人公が姑にいびられながらも健気に過ごしていると、土地には嫁姑番付なるものがあり、主人公は4位(4番目に不幸)と知る。そして、ほかの番付内の嫁たちと知り合い友情をはぐくむ。

 主人公は持ち前の明るさでほかの嫁たちと打ち解け、地域での味方も少しずつ増える。しかし、他人へのアドバイスを通じて自分の意外な性格を知ることになる。なんと、町一番のおこんじょうである姑に似てくる。姑からは『人の心を弄ぶ喜び』を知ったと目をかけられはじめ、主人公は悩む。『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。』というニーチェの言葉のような世界。

 そうこうしているうちに、主人公は嫁姑バトルの元凶を知り、さらには姑と元凶との過去の因縁が明らかにされていく。最後は、多くの嫁と姑が集結し、怒涛の展開に。20世紀少年を読んだ時のような興奮を覚えた。それにしても、最後の最後に姑 不二子はかっこよすぎた。

 いくらなんでも9巻・10巻は突拍子もなくすごい展開だったけれど、昼ドラ的な家庭内バトルが、海原雄山/山岡史郎(美味しんぼ)やミランダ・プリスリーアンドレア・サックス(プラダを着た悪魔)のような師弟関係に昇華していく様子も面白かった。